お疲れ様です。赤鬼です。
遠藤周作の『沈黙』をご紹介します。
島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。
新潮社
あくまで私個人が読んだ感想です。
その感想も読み返したときに変わってしまう可能性もあります。
何卒ご容赦ください。
不穏な空気とドライブ感
主人公はポルトガルの宣教師であるロドリゴ。
舞台は17世紀の日本で、ロドリゴが来日することによって物語が動き始めます。
過酷な船旅であっても来日しようとする理由は、平たくいえば、キリスト教を布教するため。
もうひとつ重要な動機は、先に来日している恩師が転んだ(棄教した)という不吉な噂が立っていたため。
これらが作用しているのか、物語全体の印象としては不穏な空気が漂っています。
もちろんトピックとして、当時の日本の宗教弾圧は無視できません。
キリスト教を迫害しようとする苛烈な動きは、作品全体に通底しています。
この特殊な環境によって、物語の推進力が発生しています。
スリリングな展開をもたらし、感情が揺さぶられながら読み進めました。
とくに中盤以降のドライブ感はすさまじいものを感じました。
不穏な空気を保ったまま、めまぐるしく物語が展開していきます。
行く末を見守りながら、気づいたときにはクライマックスを迎えている、そんな感覚でした。
たとえ宗教や歴史に興味がない人であっても、続きを読みたくなる力をもっています。
読解に苦しむことはない
『沈黙』は初版が1960年代、舞台設定は何世紀も前の物語です。
馴染みのない表現が頻出する要素はそろっていて、ここを不安に思う人がいるかもしれません。
しかし文体そのものはニュートラルです。
私自身、大きな違和感を覚えることはありませんでした。
読み手の推進力が弱まるとしたら、序盤の「書簡」のところでしょうか。
説明要素の強いシークエンスですが、ここで登場人物の名前が列挙され、しかもそのほとんどがカタカナです。
序盤で説明的な文章が続き、なおかつ表音文字が使われています。
ひとつずつピックアップするとなれば、読書に慣れていない人は苦労するかもしれません。
読みやすい、と軽々にはいえないものの、読解に苦しむことはないはずです。
たとえば、書簡のに書かれた文では、
「イノウエ(お忘れでしょうか。澳門(マカオ)のヴァリニャーノ師が日本における最も怖ろしい人間といった男です)のことについて……」
といったように、個々の登場人物の役回りや特徴、関係性などについて触れるように書かれています。
読者がその登場人物のことを覚えていなかったとしても、すぐに思いだせるように工夫されているわけですね。
物語の核がぶれることなく、最後まで楽しめるでしょう。
死ぬまでに読んでおかなければならない作品
作者本人が、幼少期にカトリック教徒の洗礼を受けています。
自らが信じる神の“沈黙”について踏み込むのは、とても勇気がいることだと思います。
一方で、キリスト教が迫害されていた人々の“沈黙”を無視できなかった、という思いもあった。
ここに、小説家としての凄みを感じます。
『沈黙』は、カトリック教会からは相当な批判を受けたようです。
たしかに信徒からすれば、容認できないであろう衝撃的な場面があり、反発の声があがるのは納得できます。
私の見立てでは、作者自身もそのリアクションは予想していて、覚悟ができていたのだと思います。
文責の背負い方も含めて、尊敬しかありません。
宗教由来の問題は根深く、かたちは違えど現代でも議論は絶えません。
私はいわゆる無宗教ですが、信仰を強引に否定される苦しさはこの作品からありありと伝わってきます。
今後、『沈黙』で描かれている内容が参照されるような状況は起こり得ると思います。
宗教問題だけでなく、価値観に大きな齟齬が発生する場合には、教材としても機能するでしょう。
“死ぬまでに読んでおかなければならない作品”をいくつか紹介するとしたら……
私は間違いなく『沈黙』をそのひとつに選びます。
「おもしろかった」だけでなく、「出会えてよかった」とまで思える作品です。
強くおすすめしたい赤鬼でした。
お疲れさまでした。
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