【石沢麻衣】貝に続く場所にて

お疲れ様です。赤鬼です。

石沢麻衣さんの『貝に続く場所にて』をご紹介します。

コロナ禍が影を落とす異国の街に、9年前の光景が重なり合う。ドイツの学術都市に暮らす私の元に、震災で行方不明になったはずの友人が現れる。人と場所の記憶に向かい合い、静謐な祈りを込めて描く鎮魂の物語。

講談社BOOK倶楽部

あくまで私個人が読んだ感想です。

その感想も読み返したときに変わってしまう可能性もあります。

何卒ご容赦ください。



すさまじい構成力

舞台はドイツのゲッティンゲン。

太陽系の縮尺模型がある町で、この設定が物語全体を支えています。

東日本大震災によって行方不明になった「野宮(おそらく死者と推定される)」と再会する様子から小説が始まります。

とはいえ時代設定は現代で、地の文で「コロナ」という文言が使われたり、感染症予防としてマスクをしている描写があったりします。


設定の段階で、さまざまなトピックが盛り込まれていることがわかります。

太陽系(宇宙)、震災、コロナなど、それひとつでメインテーマとなり得る要素といえるでしょう。

読み進めると、生と死、過去と現在、時間と空間、歴史と記憶などが、遠近法的に描かれていることも実感できます。

この構造の重層的な組み方は、すさまじい。


調べてみると、主要な登場人物にもそれぞれモチーフを設けているようで、ネーミングにも影響しています。

細部に仕掛けられているギミックを探ってみるのもおもしろいですね。

作品を評するときの「緻密に計算された」という表現は、まさに『貝に続く場所にて』に使われるべき言葉だと思いました。



硬く、詩的な文体

文体は堅い、というよりも硬いです。

女性作家の文体はやわらかい場合が多いように感じますが、作者の意図なのかどうか、その印象は排除されています。

それでいて、いわゆる詩的な表現が多く使われています。

文章のリズムも温度感もほとんど変わらないまま、最後まで書ききっています。

この文体は好みが分かれるかもしれません。


私は率直に、素晴らしいと思いました。

読書をしない人が連想する「文学的な表現」として扱われそうな危うさが、なくはない。

けれども、ていねいに言葉を立ち上げようとする試みはもちろん、ラストまで貫き通す覚悟も褒められるべきです。

並大抵の筆力では実現できない芸当でしょう。



個人的な推測ではありますが、作品から要請された部分もあるかと思います。

前述したとおり、この作品はさまざまなトピックが盛り込まれています。

作中では、まるで冥界で彷徨っているような不穏な空気感があります。

非現実的な舞台では、少々硬質に書かなければ説得力が揺らぐのではないか、と思いました。

そう考えると、この文体が骨組みとなって作品を支えているともいえます。



大きな物語の魅力

デビュー作で度肝を抜かれた作品はいくつかあります。

『貝に続く場所にて』も、そのひとつです。

テーマの重ね方も、要素の重ね方も、描き方も、どれをとっても圧倒される思いでした。

なんというか、この作品によって新人賞のハードルが跳ね上がった気さえしています。


個人的には、物語のスケール感が好みです。

日本文学には、大きな物語がそれほど多くありません。

もちろん、半径数メートル程度の日常にも魅力はあります。

『貝に続く場所にて』に関しては、平たくいえば、宇宙規模で物語が展開されています。

規格外のスケールによって立ち上がる遥かな気持ちが、たまらない。


なにより重要なのは、これが鎮魂の物語であるということです。

ひとつの弔いとして捉えるのであれば、宇宙規模の物語になるのはある意味で自然だといえます。

主人公の当事者性(生き残った者)から考えるとなおさら、被災者への配慮を含め、ていねいに言葉を紡いでいく必要があります。

すると、最後まで硬く詩的に書かれた文章も腑に落ちます。


小説という表現手法にできること、これの最大化を試みた作品だと感じました。

読書に慣れていない人にはとっつきにくいかもしれませんが、ぜひチャレンジしてほしいと思う赤鬼でした。

お疲れさまでした。

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