【川上未映子】乳と卵

お疲れ様です。赤鬼です。

川上未映子さんの『乳と卵』についてご紹介します。

娘の緑子を連れて大阪から上京してきた姉でホステスの巻子。巻子は豊胸手術を受けることに取り憑かれている。緑子は言葉を発することを拒否し、ノートに言葉を書き連ねる。夏の3日間に展開される哀切なドラマは、身体と言葉の狂おしい交錯としての表現を極める。日本文学の風景を一夜にして変えてしまった、芥川賞受賞作。

文藝春秋BOOKS

あくまで私個人が読んだ感想です。

読み返したときに、見え方が変わる可能性もあります。

何卒ご容赦ください。

言葉を話そうとしない緑子

メインの舞台は三ノ輪のアパート。

アパートの部屋から出るシーンも当然あるのですが、どの場面も過不足なくコンパクトに、しかも濃密にまとめられています。


二次性徴のあれこれ

美意識のあれこれ

家族のあれこれ

命のあれこれ

言葉のあれこれ

これらの要素がほぼ継ぎ目なく紡がれ、一編の物語が成立しています。


構成上の仕掛けとして挙げておきたいのは、「言葉を話そうとしない緑子の存在」です。

主人公の姪である緑子が、変化・成長していく様子、そして日記。

書き出しからクライマックスにかけて、まるで音楽でいうところのベースラインのように効いています。

この仕掛けがなければ、物語の構成が大きく変わるでしょうし、最後のカタルシスにも至らないでしょう。



さらにはこの作品、樋口一葉の『たけくらべ』のオマージュを含んでいます。

正直『たけくらべ』を読んだことのなかった私は、なんの発見もなくこの作品を読み進めてしまいました。

読んでからは、さりげないように見えて大胆に盛り込まれていることがわかりました。

たけくらべ要素を探しながら読み返すと違った見え方をするので、これもまたおもしろかったですね。



リズミカルな文体

現代で読みやすいとされている文章の原則は、「短文」でつなぐことです。

句点(。)がないままでつながれた長文は、読みにくい文章の特徴として挙げられるもので、複数の内容を一度に書こうとしているわけですから、いわば読み手にじゅうぶんな息継ぎをさせない状態になり、今読んでいるこの文章のように、なんだか息苦しい雰囲気も出てくるでしょうし、伝えたいことが伝わらない恐れもあるので、できる限り避けたほうがいい書き方といえます。


だからこそ、一度に多くを含ませない。

一文で、ひとつの内容を伝える。

こうすると伝わりやすくなりますよね。


しかし『乳と卵』では、一文を長くとっている箇所が多くみられます。

つまり句点(。)をなかなか打たずに読点(、)での区切りを用いて、文章を紡いでいるわけです。

この書き方は、冒頭の地の文から炸裂します。

クラシックな書き方のひとつ、と今となってはわかるのですが、初めて読んだときはびっくりしました。

接続助詞や体言止めなどを使いながら、ときには読点すら打たずにつなぐこともあります。


けれども、決して読みにくいわけではありません。

修飾語や被修飾語の距離感や、言葉選びのセンスが抜群で、意味も音もスッと入ってきます。

作中で使われている大阪弁の響きが脳内再生されることによって、リズミカルに読み進められます。

なんとなく、「音楽的な文章」という印象を受けました。



女性の身体性と社会への結びつき

胸の大きさ、化粧の必要性、生理、そして出産。

自分の体は自分だけのものなのに、女性の場合、その身体性に“社会的な役割”が押し付けられる局面は多々あります。

女性のなかにはそれを良しとする人もいれば、筆舌に尽くしがたいほど苦しめられている人もいるでしょう。

生物学的な差異と社会への関わり方という意味では、もちろん男性であっても同様で、なにかしらの役割を求められ、期待されています。

が、女性の場合は心身ともに、社会への結びつきがより強く意識されているのだと思います。


わかりやすいところでいえば、出産です。

事実として、男性は“出産”できないが、女性はできる。

「新しい命を体内で育み、そして産む」という神秘的なプロセスのほとんどは、女性が担います。

二次性徴の段階で準備が始まり、そのときがくれば生死をかけて臨み、人生を賭けて育てていくわけです。

もちろん企業に勤める人にとっては業務上のディスアドバンテージにもなり得るわけで、心身のみならず、社会での立ち回りもかんたんではなくなってしまう。

それが母子家庭だとしたらなおのこと、普段の生活や親子関係に関わるさまざまな苦労が想像できます。

『乳と卵』には、これらの生々しい要素も盛り込まれています。


この作品が素晴らしいのは、女性性や出産、母子関係の在りようだけではなく、命を生む意味に触れているところ。

いわば生殖倫理の領域にまで踏み込んでいるわけです。

メインテーマといえるかどうかはさておき、重大な要素として物語のなかに鎮座している印象を受けました。

ちなみに『夏物語』では、この部分が深く掘り下げられていますね。


『乳と卵』を読んだ当時、頭をぶん殴られたような衝撃を受けました。

読後感としては、「身近なことでありながらも、その複雑性に無自覚だった自分に気づかされた」といった印象。

もちろん読み物としてもおもしろいので、気負わなくても大丈夫です。

不用意に分析したくないくらい、私にとっては大切な作品です。


まだこの作品を読んでいない人には強くおすすめしたい赤鬼でした。

お疲れさまでした。

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