【市川沙央】ハンチバック

お疲れさまです。赤鬼です。

市川沙央さんの『ハンチバック』をご紹介します。

井沢釈華しゃかの背骨は右肺を押しつぶす形で極度に湾曲し、歩道に靴底を引きずって歩くことをしなくなって、もうすぐ30年になる。

両親が終の棲家として遺したグループホームの、十畳ほどの部屋から釈華は、某有名私大の通信課程に通い、しがないコタツ記事を書いては収入の全額を寄付し、18禁TL小説をサイトに投稿し、零細アカウントで「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」とつぶやく。

ところがある日、グループホームのヘルパー・田中に、Twitterのアカウントを知られていることが発覚し——。

文藝春秋BOOKS

あくまで私個人が読んだ感想です。

その感想も読み返したときに変わってしまう可能性もあります。

何卒ご容赦ください。


“機微”にフォーカスできる環境

主人公の釈華は「ミオチュブラー・ミオパチー」という指定難病を抱えています。

難病を中心的なトピックに据えるという試みは、そのまま物語の推進力になり得るでしょう。

メインの舞台となるのはグループホームの室内です。

『私は29年前から涅槃に生きている』という文言からもわかるように、障害を抱える釈華の動きは多くありません。


いいかえれば、日常にある“機微”にフォーカスしやすい環境が整備されています。

作中では、健常者からすれば想像もつかないような身体的な苦労が、リアリティーをもって描かれています。

そこでの心情の揺れもまた、痛切に伝わってきます。


そうはいっても、構成に抑揚がないわけではありません。

とくに終盤には、“事件”として扱われるべきダイナミックな展開が待っています。

旧約聖書の引用があったり、ラストシーンに含みを設けていたりと、メタフィクション的な視点を駆動させる場面も設けられています。

それらの展開には作者の切実な思いが通底しているようで、深みを感じました。



「小説内ウェブライティング」の完成形

物語の書き出し部分は、Wordpressの編集画面から始まります。

先頭に〈head〉のタグがおかれ、「地の文」と「ネット上の文章」に視覚的な区切りをつけています。

ブログやSNSなど、ウェブ上の文章を取り入れて「現実」と「虚構」に差を生じさせる作品は多々あります。

『ハンチバック』のように、文体操作によって表記を区別化する手法として、HTMLのコーディングから始めるのは斬新でした。


ネット上の文章には、主人公の願望を反映している(と思われる)箇所がみられます。

さまざまな意味でショッキングな内容が書かれているのですが、そこに主人公の秘めた熱量が見え隠れします。

読み手からすると、「別人のふりをして書いた突飛な文章」と安易に処理するわけにはいきません。

この建て付けによって、虚構と現実の遠近感がスイングし、奥行きを生じさせています。


とはいえ、地の文にみられる主人公の「声」がぶれることはなく、冷静な筆致で力強く描かれています。

ネット用語やIT用語など、新奇性を感じさせる表現があったり、ユーモラスかつアイロニカルに映る書き方がされていたりと、主人公が“生きている”と感じさせる文体です。

この土台がしっかりしているからこそ、虚構(ネット上の主人公)が光るのでしょう。

小説内ウェブライティングの表現技法として、ひとつの完成形に到達していると思いました。




残り続けてほしい作品

『ハンチバック』には、議論を巻き起こしたり、常識を覆したりする力があります。

当事者でないはずの私にも、差し迫る思いがこみ上げてきました。

『本好き』や『紙の本』に向けられた主人公の気持ちには、ドキリとさせられます。

読後の感想を言語化するのが難しいのですが、そういう作品は“良い作品”である場合が多い。


わかりやすい事例をピックアップすると、障害者の性について。

食欲や睡眠欲と同様、性欲も人間の根源的な欲求のひとつにもかかわらず、一般社会においてオープンに語られる機会は少ない。

とくに障害者の性欲については、多くの人が見ないふりをしているのではないでしょうか。

尊厳の保全を考えるとオープンにすべきとまではいいませんが、満たされない苦しみから解放する策は、手が届くところに用意されるべきだと思いました。


無自覚な社会ないし私たちに対して、痛烈な一矢を報いた作品ともいえます。

当事者からすれば、社会の歩みは遅すぎるのでしょうし、まだまだ足りないのでしょう。

『ハンチバック』に描かれている内容には、今後の日本社会が参照するべき大事なことが書かれていると思います。

今後も、読み手の心になにかを残しながら、世の中に開いていくのだろうと思います。


この作品を頼らなくてもいい社会になったとしても、エポックメイキングな存在として残り続けるでしょう。

これほどまでに優れた作品は、いつまでも残り続けてほしいと願う赤鬼でした。

お疲れさまでした。

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