お疲れさまです。赤鬼です。
中村文則さんの『土の中の子供』をご紹介します。
27歳のタクシードライバーをいまも脅かすのは、親に捨てられ、孤児として日常的に虐待された日々の記憶。理不尽に引きこまれる被虐体験に、生との健全な距離を見失った「私」は、自身の半生を呪い持てあましながらも、暴力に乱された精神の暗部にかすかな生の核心をさぐる。人間の業と希望を正面から追求し、賞賛を集めた新世代の芥川賞受賞作。
新潮社
あくまで私個人が読んだ感想です。
その感想も読み返したときに変わってしまう可能性もあります。
何卒ご容赦ください。
トラウマと向き合う不安定な主人公
主人公は、とても危なっかしく、不安定な人間といえます。
冒頭からバイオレンスな場面が用意されていて、破滅的な思考に支配される描写が随所にあります。
主人公の複雑な内面を描くにあたってはもちろん、場面を展開していく上でも、主人公と生活を共にする女性が有効に機能しているといえます。
主人公の人格を形成したのは、幼少期の虐待によるトラウマが大きな原因と思われます。
「虐待」についてのあれこれは、物語の中核を担っていて、その様子も生々しく描写されています。
しかし、「生」に対する執着がないともいえません。
微妙なバランス感覚のなかで暮らしているからこそ、“危なっかしく、不安定”なわけです。
悲惨な過去に囚われた破滅的な自分がいる一方で、怠惰であっても社会生活を維持しようとする自分もいる。
この拮抗状態は物語の推進力となり、主人公がトラウマと向き合っていく様子は大きな読みどころとなります。
終盤には、主人公にとっての転機ともなり得る大きな事件が発生します。
構造的にも、読ませる力をもった物語といえます。
内面を描く語彙
『土の中の子供』は、平たくいえば、自問自答をくり返しながら内面を掘り下げています。
作者のほかの著書(『銃』や『遮光』)のように、象徴的なモノを媒介しながら何かに迫ろうとしているわけではありません。
缶を落下させる場面など、局所的なメタファーとしてはモノが使われたにせよ、過去の回想を含めた自分の内側を描くことに多くの文章量を割いています。
これらを読ませるとなれば相当の筆力が必要でしょう。
物語の構造や場面の展開に工夫がみられるのはもちろんですが、作者の文体もそれを強く支えているといえます。
淡々と書かれる堅めの文体は、たとえ説明文的な筆致になったとしても、読み手に拒否反応が生じません。
そこに作者の描写力が加わり、惹きこまれるように読み進めることができました。
ほかの作品にもいえることですが、中村文則さんは人間の内面を描く語彙が豊かだと常々感じています。
中心に据えられるのは「人間の暗部」であることが多いです。
しかし、逆説的かつ対照的に「やさしさ」や「温かさ」がリアリティーをもって浮かび上がってきます。
『土の中の子供』は、そのコントラストが非常にわかりやすく、説得力をもって描かれています。
過去を受け容れ、今を生きる
トラウマ、という言葉を私は何度か使いました。
文学に限らず、トラウマを内部に組み込んだコンテンツでは「乗り越えること」がセットになっていることが多いです。
『土の中の子供』も、例外ではありません。
過去を受け容れ、今を生きる。
何度もくり返されてきたような、シンプルな考え方だと思います。
何度もくり返さなければならないほどに、これを実践するのはかんたんではなく、実現するのは非常に難しいともいえます。
この物語は、非常に強い説得力をもって、これを教えてくれています。
私にも実際、思い出したくない過去があります。
そのときの私は完全なる被害者といえる立場で、防ぎようのない厄災に遭ってしまいました。
しかし悲惨な過去も含めて、今の自分を形成していることは確かです。
そして、今の自分を支えてくれる人がいるのも確かです。
この作品を読み終わった後、あらためてこのことを実感しました。
周囲の人をもっと大切にしようと、これもまたシンプルではありますが、今一度思い直しました。
このテーマは、時代を超えて、コンテンツを横断しながら、反復されるでしょう。
反復されるべき、と思えるテーマです。
この作品に出会えてよかったと思えた赤鬼でした。
お疲れさまでした。
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